第5回



   
日時:1980(昭和55)年3月26日(水)
場所:高松市民会館
プログラム
第1部指揮:植田 誼
行進曲「威風堂々」第1番二長調E.エルガー 作曲
P.ストレット 編曲
吹奏楽のための小前奏曲郡司 孝 作曲
バンドのための第三組曲T・・・舞曲 J.スピアーズ 作曲
U・・・夜の歌
V・・・入場と小行進曲
カディッシュF.マクベス 作曲
● ● ● ● ●
第2部指揮:岡本 正
大都会
異邦人
サウンド・オブ・ミュージックより
黒いジャガーのテーマ
● ● ● ● ●
第3部指揮:植田 誼
狂詩曲「スペイン」E.シャブリエ 作曲
L.カイリエ 編曲
アルメニアンダンス
        パート2
T・・・農民の訴え A.リード 作曲
U・・・結婚の舞曲
V・・・ロリからの歌



10回までの折り返し地点、第5回定期演奏会です。

現在もお世話になっている植田誼よしみと読みます!)先生率いる今代の高高吹奏楽部、
なんと夏コンで金賞をとっています!
そんなすばらしい今代の方々ですが、
5月の新入生歓迎遠足なるものは雨のため中止だったそうです・・・残念。

また、今回のパンフレットからパートごとの写真が載るようになりました!
文字やイラスト以上に時代を感じます・・・。
しかし何より驚いたのは、その男子部員の多さ!
女子:男子=13:23という今では信じられない比率。
金管に限ればなんと女子:男子=0:17
特に男子4人のユーフォパートには度肝を抜かれました。

昔の部員の男女比の構成が男子多めになっていたのは、
当時の高松高校全体の男女比を、ほぼ普通に反映したものだったと思います。
ただし中低域ブラスは全て男子が担当していましたけど。

 現在ではパートの性別役割分担は当然のように無くなりましたが、ここ数年は、確かに女子部員が増えましたね。
もっともそういうことは、活動内容の充実振りには、関係がないと思います。
20代豊嶋(Tb.)

「4人のユーフォ」の一人は私です。
当時1年生でしたが、すでに2年生に3人おりました!!
入学後すぐ、TBBの部室に「入部します!」と言いにいったんですが、
希望の(というかそれしか吹けないと思った)中学から続けていたユーフォは、すでに2年生が3人!
で学校の楽器は2つ。ということは、2年生の先輩の一人は個人もち楽器であったのです。
そして、その個人もち楽器の持ち主は、私の中学時代の先輩!
「横井なあ、入部させてやるけど、ユーフォやりたかったら、楽器買ってもらうってのが条件だ!」
といわれたので、素直な私は(^^)、親にねだって買ってもらったのでした。
で!!!その楽器を使って今も毎年現役の皆さんと一緒にステージにあがっているわけです!!

さらに、5回定演直前のアンサンブルコンテストには、無謀にも??ユーフォニアム4重奏で出演!
さらに!その時の審査委員長は、当時のユーフォの神様 三浦徹 大先生(^^)
4人一同、ステージ上で固まっていたことを思い出します。

【追記】
当然ながら、夏のコンクールにユーフォ4人で出るわけですが、
同じ譜面を4人で吹くことは・・変です。
で・・当時ホルンは各学年1人ずつ3人だったので、
下っ端のわたしは、4thホルン担当と決められました。
ユーフォでF管楽器の譜面ですから高音域が多く正直きつい!
最初はいちいちB♭譜に手書きで書き直してたのですがそのうちにめんどくさくなって、
Fの譜面をそのまま頭のなかで読み替えて吹いておりました。
・・そんな生活が、1年生の文化祭終了まで続いたのでした・・・。
24代横井(Ep,Tb)
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